「・・・うぃーっす・・・」



翌朝、甘ったるい紙袋を四つも引っ提げて、『人生いろいろ』に到着した。

こんな仕打ちに合うとは、正に、『人生いろいろ』だわな・・・。

この噎せ返る匂いに昨日から悩ませられて、結局何も口に出来ないまま今に至る。

一日中、気持ち良く寝て過ごす筈が、それどころか明らかに睡眠不足で。

俺の顔を見るなり、アスマが吃驚したように尋ねてきた。



「何だ、カカシ。顔、真っ青じゃねぇか・・・。二日酔いか?」

「あー・・・。まぁ、似たようなものかも・・・」



ドサッと袋を床に置くと、そのまま机に突っ伏した。



「ウエェー・・・」

「・・・凄ぇな。もうそんなに貰ってきたのか?」

「違うよ。これはサクラのなの・・・」



ぽつぽつと昨日の経緯を話す。いかに俺が不幸な目にあったか、是非ともお前には判って欲しいよ。



「ぶはっはっは!なんだそりゃー!テメェにそんな手伝いさせられるのは確かに春野くらいしかいねぇわなー」

「・・・笑い事じゃないよ。全く・・・」

「ああ、すまん、すまん・・・。天下のカカシ様が可愛らしくお菓子なんぞ作ってた事ぁ、他の奴等には黙っててやるから安心しろ」



幸いにも、俺等の近くには誰もいない。恩に着るよ、アスマ。



「ほらよ」



熱いコーヒーの紙コップを手渡され、ようやく人心地ついた。



「はぁー・・・」



本当にこれからこれを配り回るのに、つき合わされるのだろうか?

一体、行く先々でどんな目で見られることやら・・・。



「・・・何で断れないのかなぁ・・・?」



どういう訳かどんな無謀な頼みでも、サクラからされると、何とかしてやらないとなぁ・・・、と思ってしまうのだ。

他の奴からだったら遠慮なく断れるのにな。

甘いなぁと自分でも重々承知しているのだが、何故だか断れない。昔からそうだった。

って事は、今更どうしようもないのか・・・?

大体、あの甘えるような目付きと笑顔でおねだりされて、素気無く断り切れる奴なんているんだろうか。

・・・さすが優秀なる我が教え子だ。自分の魅力を最大限に活用できている。



「・・・なによ、その目付き」

「いーや、別に何でもねぇーよ」



やけに思わせ振りなアスマの笑いが気になるが、どうやらそれを問い質すには時間がないようだ。

聞き覚えのある元気な声が、入り口の方から響いてきた。



「お早うございまーす。・・・カカシ先生、いますかぁ?」

「ははは!早速お出ましだぞ!」

「・・・はいはい」



思いっきり面倒臭そうに「よっこいしょ・・・」と立ち上がり、紙袋を携えてサクラに近寄る。

サクラは相変わらずニコニコと愛想を振りまきながら、入り口付近で通りすがりの中忍と立ち話をしていた。



「・・・ほらよ。忘れ物」



その様子になんだか無性に腹が立ち、二人の間を遮るように紙袋を突き出した。

俺の不機嫌顔に恐れをなした腰抜け野郎が、そそくさと逃げ出していく。



「もう、カカシ先生ったら・・・。そんな怖い顔しなくてもいいじゃない」

「あー、そりゃ悪かったねぇ。元からこういう顔なんだけどねー。・・・で、どうすんだ、これ?」



突き出したままの紙袋の中から、サクラは何個かチョコを掴み取ると、「じゃ、まずは待機所の先生達からね」と、

俺の腕を強引に引っ張り、出てきたばかりの部屋に俺を引き摺り込む。



「い、いきなり、ここから?」

「いいじゃない。近いんだし」



満面の笑みで手当たり次第にチョコを配り歩くサクラ。



「あのー・・・、これ、いつもお世話になっているお礼です。よろしかったらどうぞ。受け取ってください」

「えー。俺なんか貰っちゃっていいの?」

「ハハハ、春野から貰えるなんて光栄だな」

「おぉ!?これ、サクラちゃんの手作り?ラッキー!」

「すげぇな!良くできてるなー」

「おー、俺らの分もあるのか。悪いなー、気ィ遣わせて」

「・・・で、カカシは何やってんだ?大事なお姫様の荷物持ちか?」



大きな袋を幾つも引っ提げて、仏頂面でサクラの後をついて歩く俺を見て、みんながみんな呆れている。



・・・何とでも言ってくれ。あぁ、どうせ、お姫様の荷物持ちだよ。俺は。

しょうがねーだろ。断り切れなかったんだから・・・。



「あーあ・・・」



今日ほど、任務が入ってない事を恨めしく思った日はない。

この山ほどあるチョコレート、配り終えるのは一体いつになるんだろうか・・・。



「じゃあ、次は、教職室ね。その後は、通信班、暗号班、医療班・・・、そうだ、中忍達の溜まり場にも顔出さなくちゃね。」

「・・・・・・」

「うふふ、ホント先生がいてくれて助かったわ」

「あのさ、俺、入り口で待ってちゃ駄目?」

「駄目!そんな事したらカカシ先生逃げちゃうでしょう?」



こんな事なら身代わり用の影分身でも出しとくんだった・・・。

逃走防止のためか、サクラは例の馬鹿力で俺の片腕をがっちりと掴んだまま決して放そうとしない。

スキップしそうな勢いで、次から次へと各部署を回り歩き、天使のような笑顔と共に浮世の義理を惜しげもなく振り撒き続ける。



まーったく、たかが義理にそんな愛想を振り撒いてたら、絶対勘違いする野郎が出てくるぞ?

現に、どう見たって『義理』以外の何物でもないようなチョコなのに、感激のあまり声が上擦ってる奴とか、

見てるこっちが恥ずかしくなるくらい顔を赤らめてる奴とか、ここぞとばかりにサクラに押し迫ろうとする不心得者が、

ぼろぼろと出てきてやがるじゃないか。

あのなー、「サクラの手作りだ」なんてお前ら喜んでるがなぁ。はっきり言って、お前らが持ってるの俺が作ったやつだぞ。

形を見ればよぉーく判る。俺の作った『義理』がそんなに嬉しいのかよ。メデタイ奴らめ。



ぶっきら棒に「ほら、次行くぞ」と声を掛け、気に入らない男どもからサクラを引き離した。



「あの・・・、春野さん。今度カカシさんのいないところでゆっくり――

「あー、何ぃ?今、俺の事呼んだー?」

「あ・・・、いえ、何でもありません・・・!失礼します!」



またしても俺の不機嫌なオーラに恐れをなして、可笑しいほど真っ青になりながらその場を後にする野郎ども。

サクラは大して気にしている風でもなく、「さー、次、次!」と張り切って先を急ぎ出した。

冗談ではなく、本当に荷物持ち、兼、お守り役だな・・・。

この無邪気なお姫様の気紛れに振り回されつつも、必死に狼どもの毒牙からその身を守り抜くのが俺の使命か・・・。

まだ半分にもなっていない袋の中身を覗き込んで、やれやれ・・・と密かに溜息をついた。










陽がゆっくりと傾きかけている。



一日がかりでアカデミー中を駆けずり回り、ほぼ全員の男に、無事、義理を果たし終えたサクラ。

今度こそ、こっちもお役ご免できそうで、裏庭のベンチにだらしなく腰掛けながら、思いっきり伸びをした。



「ふぁ〜ぁ・・・」

「カカシ先生。今日は私の我儘にずっと付き合ってもらっちゃって、本当にありがとうございました」

「あー、ハイハイ・・・」



ぺこりと頭を下げながら、途中の自動販売機で買ってきた缶コーヒーを手渡された。



「おっ、ありがとな」



遠慮なくいただき、ゴクゴクと一気に飲み干す。

サクラも俺の隣に腰を下ろし、カフェオレの缶をゆっくりと口にした。

どこか思い詰めたような表情で遠くを見詰め、急に口数が少なくなる。

そんなサクラを横目で見ながら、ずっと気になっていた事を問い質してみた。



「・・・でもさぁ、サクラ。ただの浮世の義理にしても、あんな手当たり次第にばら撒いちゃって平気なのか?

 思いっきり勘違いした奴らに後から取り囲まれても、俺は知らないぞ・・・」

「ふふっ、それは多分大丈夫。だってカカシ先生、後ろでずーっと怖い顔で睨みっ放しだったもんね。

 カカシ先生を敵に回そうなんて勇気のある人、このアカデミーにいる訳ないわよ」

「ハッ・・・、やっぱり俺はサクラのお守り役だった訳ね。・・・それにしたって、ここまでしなくても・・・」

「それは・・・どうしても私、カカシ先生の役に立ちたかったから・・・」

「・・・あぁ?俺の役に立つって、何が・・・?」

「カカシ先生、毎年毎年山ほどチョコレート貰っては、こんなのいらないってウンザリしてたでしょう・・・。だから・・・」

「・・・だから?」

「今日はずっと私と一緒だったから・・・、欲しくもないチョコレート、一枚も貰わずに済んだじゃない・・・?」



恐る恐る上目遣いに俺の顔を覗き込んでいる。

俺がどういう反応を示すのか、ビクビク怯えているのが丸わかりだ。



「あー・・・、確かに」

「ふふ・・・、隙あらば先生にチョコレートを渡そうって、至る所に女の子達が大勢スタンバってたの、先生知ってた?

 ・・・もっとも、先生がそれに気付く前に、私が思いっ切り睨み付けてやったから、みーんな何処かに行っちゃったけど・・・」



泣き笑いのような、苦笑いのような複雑な笑顔で、カフェオレの缶をずっといじっている。

そういやサクラにお供する事ばかり気を取られてて、自分が貰う事はすっかり忘れていた。



「なるほど・・・。確かに今日は誰からも貰ってないな」

「・・・でしょ?」

「だがなぁ。それとこれとは話が別――

「ごめんなさい!・・・私、どうしてもカカシ先生に、今年は他の人からのチョコレートを受け取って貰いたくなかったの。

 今日一日ずっと先生の側にいて見張っていれば、他の人からチョコレートを貰うのを邪魔できるかなってそう思って・・・。

 だから、先生にすごく迷惑がられてるってちゃんと判っていたけど、一日中先生の事、いろいろ引っ張り回してたの・・・。

 本当にごめんなさい・・・」



ギュッと掌を握り締め、首をすくめるようにサクラが謝っている。小さな肩がガタガタ震えていた。



「・・・こんな事して、もう先生に嫌われちゃったかもしれないけど・・・、でも、私のチョコレートだけ受け取って欲しかったの・・・」



俺の足下をじっと見詰めたまま、今にも泣き出しそうな顔で、綺麗に包装された小箱を差し出してきた。

きちんと赤いリボンが掛けられている。今まで大量に配ってきたものとは明らかに違ったもの。

込められた想いの差は、一目瞭然だった。



「えっ?えーと・・・、ちょっと待ってくれ・・・。つまりは、俺が他の奴からチョコレートを貰うのが嫌だから、俺にそうさせないように

 わざと俺を一日中引っ張りまわして、あの大量の義理チョコを配ってたって言うのか?」

「・・・うん」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・嘘、だろ?」

「・・・・・・」

「はぁ・・・、ったく、なんて事を・・・」



昨日からの疲れが、どっと吹き出してくる。

嬉しいというよりも、はっきり言って苦々しい思いの方が一杯で、思わずベンチの背凭れに引っくり返って天を仰いでしまった。

あまりにも奇想天外なサクラの作戦に、なんて言っていいのか判らない。

俺がこのまま怒り出すと思ったのか、サクラの手が大きく震え出している。手の上の小箱から、カタカタと小さな音がした。



「・・・あー!もう、お前なー・・・!」

「ご、ごめんなさい・・・!」



ずっと下を向いたままの瞳からポロポロと涙が零れ落ちてきた。

それでもずっと、小箱を載せた手を真っ直ぐに俺に向かって伸ばしている。



「・・・ごめん、な、さい・・・、カ、カシ先生・・・」

「・・・・・・はぁぁ、別に泣く事はないだろうが・・・」



堪え切れず嗚咽を漏らすサクラの姿に、今度は思わず頭を抱えてしまった。

とにかく俺は、サクラの涙には滅法弱い。

今も、彼女の涙を見た途端に頭の中が真っ白になって、どうしていいのか一瞬判らなくなってしまった。

正直言って、昨日今日のサクラの行動には今ひとつ納得しかねる。

いや、はっきり言って頭にきている。

だが、こうやって目の前でシクシク泣き出されると、居ても立ってもいられないというのか、

とにかくどうにかして泣き止ませなくては、と思わず必死になってしまうのだ。

俺が泣かした訳じゃないのにな。・・・俺の所為じゃないよな?違うか? くそっ!この際どっちでもいい。とにかく泣き止め!

サクラの手から小箱を取り上げ、代わりにハンカチを差し出した。



「あー、もう判ったから泣くな!これは、ありがたく頂戴するから・・・」

「貰ってくれるの・・・?」

「だってこれ貰っておかなかったら、今年は誰からも贈ってもらえない事になっちゃうんだろ?それはあまりにも淋し過ぎるからな・・・」



やれやれ・・・と悪戯っぽく微笑んで、グシャグシャと小さな頭を乱暴気味に撫でてみた。

男物のハンカチを握り締めたままのサクラが、これまたグシャグシャな笑顔を返してくる。



「良かった・・・。このままカカシ先生に嫌われちゃったら、どうしようって・・・」

「そうならそうと、最初から言ってくれりゃいいのにさー。そしたら、他の奴からのなんて全部断ったのに・・・」

「・・・そんな事恥ずかしくて、言える訳ないじゃない・・・」



恥ずかしいって・・・。おいおい、一日中、サクラの後ろを金魚の糞みたいに歩かされる方が、ずっと恥ずかしかったぞ・・・。

でも、そんな事を言ったらこのお姫様はまたしても泣き出しかねないので、グッと言葉を呑み込んで我慢する。全く大人は辛い。

代わりに、「これ、開けてもいいか?」と尋ね、可愛らしいリボンを紐解き始めた。



「うん!」



涙に濡れた大きな瞳が、嬉しそうに輝き出す。やっと真っ直ぐにこっちを見てくれた。

知らぬ間にホッと安心している自分が、何だか滑稽な気もするが・・・、まあいいや。せっかく、泣き止んでくれた事だし。



サクラがドキドキと心配そうに見守る中、そっと箱の蓋を開けてみた。



「うわ・・・。綺麗だなー・・・」



丁寧にクッションが敷かれた箱の中には、数粒の小さなチョコレートが仲良く収まっていた。

それは、どれもこれも完璧な球形をなしていて、僅かな歪みも見当たらない表面は、

上質な黒真珠のように、柔らかく艶やかな光沢を湛えている。

まさしく『黒い宝石』がそこにあった。



「これ・・・、サクラが作ったの?」

「当たり前でしょ。浮世の義理を手作りしておいて、先生の分を市販品で済ませちゃったら、本末転倒になっちゃうわ」

「いやー、あまりに見事な球形だからさー」

「・・・ひょっとしてカカシ先生ったら、私のチャクラコントロールの腕前忘れちゃったの?」



困ったなぁと眉尻を下げながら、ちょっと情けなさそうに笑うサクラの様子にハッとした。

そうだった・・・。この子は昔からチャクラの扱いが、ずば抜けて上手かったんだ。

極小の針の穴も楽々通せるような精緻なコントロールの腕があれば、これくらいの造作は朝飯前だろう。



「じゃ、昨日の不揃いなチョコレートは・・・」

「わざわざチャクラを使って整えるほどの代物じゃなかったからね」



わざと手を抜いて、デコボコにしておいたのか?



「ハハハ・・・、参ったねぇー・・・。何だかもったいなくて食べるのが惜しいなー」

「うーん・・・、でも、これブラックチョコレートで中にお酒が入っているの。甘くはないはずだから、先生でも大丈夫だと思うんだけど・・・」



「一個だけでいいからこの場で食べてみて」と袖を掴まれ、必死にお願いされた。

そんなに心配しなくても、サクラからのチョコレートだったらちゃんと味わっていただくさ。



「じゃ、お言葉に甘えて・・・」



ポンと一個を口の中に放り込んだ。